ヤスパースは「同じ病がなぜある場合には治癒し注*、ある場合には治癒せずにとどまるのか、全く理解できないままである。」というだけで、回復後の人格変化の臨床的研究も単に病態把握の正確度を調べる為の後見に限っているようである。しかしまず、彼が本書を出版した年代を考慮に入れなければならないだろう。それであるいは、精神医学の水準が当時以上注20であったなら、‘治癒過程論’注21に数頁をさいたかもしれない。さて分裂病が臨床の場で解決される迄、精神療法の効果は瞭然とはしないであろう。ヤスパースが了解不能にこだわる限りは、彼は分裂病の精神療法を無意味と断言せざるをえないであろう。ところがもし、ヤスパース自身が予測しているように器質的疾患の為治癒不可能であるとするなら、彼の見解が予測であるが故に分裂病疾患群としてではなしに、理念としての分裂病に対しては治癒可能性を考慮出来るのか(ヤスパースは予測として名称としての分裂病は脳の病的過程であろうとしている)、あるいは、早急の問題として、治癒可能性を前提として、どこまで治癒するかという臨床面での追求を精神病理学の立場から現にやるべきか、という問題が残るであろう。更に又、治癒が確認しにくいものであるならば、それだけに、精神病理学の領域でなければならないといえるのではないか。注22神経症では精神医学が健康増進の学注23として治癒過程の研究をするであろうけれども。
注*
回復と解釈すべきであろう。
注20
初版は1913年。新版は1945年。「この新版では内容が著しく増加し、ほとんど面目を一変した感がある。しかしその方法論的厳密性は旧版と異なる所はなく保たれている」(村上仁、異常心理学)
注21
澤瀉久敬 医学の哲学
注22
ヒントを得た文献
荻野恒一、精神病理学入門
藤縄昭、病院内寛解について、精神医学第四巻二号、昭和37年
藤縄昭、精神分裂病者のリハビリテーションと精神療法との関連性について、精神医学、第五巻十二号 昭和38年
荻野恒一、大原貢、水谷文夫、非定型精神病の発見機制と家族内葛藤---親子三名の発病を含むN家の分析---
神経症 フランクル、宮本忠雄、小田晋、霜山徳繭訳 みすず書房、1956年
注23
澤瀉久敬 医学の哲学
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