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論文1 「Allgemeine Psychopathologie」(Jaspers,K)について
<Subtitle>分裂病の治癒可能性に焦点をおいて

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論文1 Top Page (序文)
1、分裂病の治癒可能性に対するヤスパースの見解
2、分裂病は脳病か
 イ、ヤスパースの見解の概要
 ロ、疾患単位を理念とする研究の概要
 ハ、疾病学に限局した場合の科学的背景
3、分裂病の症状の心理学的理解の可能性について
 イ、ヤスパースの見解の概要
 ロ、分裂病に於ける精神療法の可能性
4、精神病理学と脳病理学の共働の道
 イ、ヤスパースの現象学の特徴
 ロ、真の理論と精神病理学の理論
 ハ、両者の共働の今日的意義
 ニ、分裂病の脳所見解明後の問題
5、治癒過程考察の欠如について(ヤスパースの)

おわりに
参考文献
3、分裂病の症状の心理学的理解の可能性について

イ、ヤスパースの見解の概要

「分裂病は単純にして客観的なる症候によって認識しうるものではなく、人格全体の変化としてのみ把握され得る。この変化を人々は特徴的なる二、三の症候(たとえば作為現象)によって結論することもあるが、人格全体を直観的に把えうるに到らない限り、この種の症状だけでは確実な結論は得られない。」(「ストリンドベルクとファン・ゴッホ)ヤスパースはこの人格変化の本質を規定したり、病める人間の存在様式を究明することはさけるであろう。ヤスパースが分裂病の人格変化というときの人格は、「ストリンドベルクとファンゴッホ」の中で一貫しているように、現実の断念が自己欺瞞によるものではなく、あるいは現実への執着にも自己欺瞞的なものを完全に欠くところの、いわば形而上学的存在である。ヘルダーリンの「つかのまなりしわが生」という詩の一行も彼から現実的個人的な自覚存在を奪って空想的に溶解してしまうような形而上的な向かが彼の内からいわば開示され、彼のそれに対する非常な絶叫であって、虚偽は微塵も無いというのであろう。ヤスパースは「精神病的なものは、その極端性によってあらゆる人間存在の一つの比譬となることができ、又精神病的なものに於ては、実存的状況と加工が歪められ転倒して実現するもののように思われる」と述べている。(中巻P.12)

即ち、了解可能な実存の現れとして、あるいは体験としては現存在をよびさまし自己存在とする限界状況から我々に対して現れるであろうところの自由性のよびかけとしての了解不能と次元を異にし、虚偽のない世界として、我々の体験や自由性を超えるところの「包括的意味関連」にかかわるような形而上的なもの----これが分裂病人格の中核であり、全体を包むものであると考えているのであろう。しかし、彼は「ストリンドベルク、とファン・ゴッホ」に於いて、「精神病者は診断に当ってしばしば否定的な価値判断を使用するが、一定の症状を直ちに‘不可解’であり、空虚、支離滅裂、無意味なりと断定するのはすこぶる危険である。それよりむしろ積極的な、了解し、直観し得る何ものかを発見するよう努力すべきである」と述べているが、形而上的人格ではなくて、少しでも現実に近い感情移入の可能性のある人格を追求せよというのではないようである。健康と病気という対立の彼岸にあるような分裂病者の存在価値を念頭においているのであろう。彼はストリンドベルクの体験様式に関して、「生の了解的関連によっては把えられないという事実は、これらの諸症状が心理学的には了解し得ないところの、分裂病的過程そのものから直接発生した現象であることを示す。」と心理学的了解困難を述べている。このことは精神病理学総論に於いても一貫しており、先にのべた真正妄想の静的了解不能と同様発生的了解も不可能であると断言している。

分裂病の心理学的理解の為には人格の中核的なものの理解を必要とすることは今日では常識である。しかし、程度というものがないかと考えるのはやはりおかしいであろうか。現にアメリカでは分裂病を重い神経症とみなし注7ソヴィエトの精神病理学でも、根本理念は違うが、実際上の点で、アメリカの精神病理学の解釈と近い。注8ヤスパースが精神分析、現存在分析注9を批判する限り、ヤスパースが考えるような分裂病人格をより現実化することは不可能であろう。(ヤスパースの了解精神病理学の方法自体を変えなければならなくなろう。彼は真正妄想に限らず、各種症状に関しても、了解困難とし、単に記載するにとどめ、現象学的事実を基盤として疾患単位を規定し、疾患に特有な原因、予後、治療法などを明らかにすることを目的としている。分裂病の静的了解は現在の状態の横断面的把握に固定され、それに固執すると、病因探究の操作が阻害される懸念がある。注10その改善の為には発生的了解を改善しなければならないのだろうか。それはさておいても、結局、ヤスパースの分裂病の心理学的理解に関しては悲観的な結論しか出てこない。‘どのように了解不能なのか’が私がここで先に述べた程度しか、具体性をもっては、解釈できないとするなら。
 ちなみに、分裂病を一個人の生活歴に限って追跡し、病前から増悪期に了解可能な意味ある心理現象を探究することができないか。注11

注7
西丸四方、精神病の概念、異常心理学講座第二部、みすず書房、昭和29年、
注8
上同、&加藤正明、岡田靖雄、精神病理学総論(三)---ソヴィエト精神病理学の基礎---異常心理学講座第二部、
注9
ビンスワンガーの立場を精神病理学総論に於いて非難している。
注10
村上仁、異常心理学、
石川清、精神病理学の諸体系と了解精神病理学
注11
クレペリンは本論ですでに述べた通り、病気の最後の状態の心理学的構造の知見から病の初期の前兆のうちにも疾病過程の心理学的基本型が認識できるという推論を前提に疾患群を考想したのであった。その後、病前性格の研究がされたかどうか、ヤスパースの伝記学の項には何らの報告もない。
なお、石川清氏は「正常から異常への移行状態ないしは起始の状態、さらに病前性格の如何は、今までの精神病理学の大きな盲点であり、その研究上、死角に属している」と述べている。精神病理学の諸体系と了解精神病理学的方法、


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